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┃\_/┃株式会社丸庄メールマガジン「まるメル」
┗━━━┛2017年2月1日 vol.220
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なぜ豆をまくのか!?
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1 豆まきの由来
2 テレビの始まりの日
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今週金曜日、2月3日は、節分ですね。
もともと節分とは、季節の分かれ目をいい、
立春・立夏・立秋・立冬の前日のことをさし、
1年に4回ありました。
しかし、昔は立春が
新年の始まりにも相当する、
大事な節目だったため、
次第に節分といえば
春の節分をさすようになりました。
さて、今年も豆をまいて、鬼を退治し、
恵方巻に静かにかぶりつきましょうか…。
それでは、今週も「まるメル」vol.220をお楽しみください。
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【 1 豆まきの由来】
節分といえば、
「豆まき」ですね。
さて、昔は、季節の変わり目には、
邪気が入りやすいと考えられており、
季節が変わる前に邪気を払っ
福を呼び込むために、
「追儺(ついな)」という宮中行事が
行われていました。
追儺(ついな)は、
「鬼やらい」とも呼ばれ、
その行事のうちの豆打ちの名残が、
豆まきと言われています。
ところで、なぜ、
豆(大豆)をまくのでしょうか?
大豆は、五穀のひとつで
穀霊が宿るとされており、
米に次いで神事に用いられてきました。
米よりも粒が大きく、
穀霊で悪霊を祓うのに最適であること、
「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて
「魔を滅する(魔滅=まめ)」
にも通じることから。
また、昔、京都鞍馬山に鬼が出たとき、
毘沙門天のお告げによって
大豆を鬼の目に投げつけて
退治したという話に由来するという説も。
豆まきは、一般的に
一家の主人あるいは
「年男(その年の干支生まれの人)」が、
豆をまくとされていますが、
家庭によっては家族全員で、
というところも多いようです。
家族は、自分の数え年の数だけ
豆を食べると病気にならず健康で
いられると言われています。
ただ、豆まきに使う豆は、
炒った豆ではなくてはいけないようです。
なぜなら、生の豆を使い
拾い忘れた豆から芽が出てしまうと
縁起が悪いからです。
「炒る」は「射る」にも通じ、
また、鬼や大豆は、陰陽五行説
(「木」「火」「土」「金」「水」の五行)の
「金」にあたり、この「金」の
作用を滅するといわれる
「火」で大豆を炒ることで、
鬼を封じ込めるという
意味があります。
そして、最後は、豆を
人間が食べてしまうことにより、
鬼を退治したということに
なるようです。
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【 2 テレビの始まりの日】
今から64年前の今日、
2月1日、日曜日(1953年当時)の
午後2時、NHK(日本放送協会)が、
日本初のテレビ放送を開始しました。
東京・内幸町にあった
NHK放送会館の第1スタジオで、
古垣鉄郎会長は、
「テレビは文化のバロメーターだと
言われています。目と耳を同時に
引きつけて各家庭に流れるテレビは、
その影響するところは、
国民生活全体の上に革命的とも申すべき
大きな働きをもつものであります。」
と挨拶したそうです。
この言葉通り、テレビは、
その後、政治・経済・社会・文化、
生活全般に大きな変化をもたらしました。
それまで実験としての
放送は行われていたものの、
戦争により中断。
終戦から8年、
ようやく本放送に
こぎつけたそうです。
当時、1日の放送は、わずか
4時間ほどで、テレビカメラは5台しかなく、
(スタジオ系カメラ3台、中継用カメラ2台)
映画やニュースフィルム以外は、
そのほとんどが生放送だったそうです。
また、当時はテレビ受像機の価格が高く、
なかなか受像機が普及しませんでした。
そこで登場したのが「街頭テレビ」。
デパートや駅、公園などに設置された
街頭テレビには、多くの人々が集まり、
テレビに映し出されるプロ野球、
プロボクシング、大相撲などに
人々は熱狂しました。
ちなみに国産第1号テレビは、
1953年1月に発売された
シャープ製テレビで
価格は175,000円。
当時の公務員の
初任給は、5,400円。
実に給料、約32か月分です。
欧米各国でテレビ放送の
実用化準備が進められるなか、
日本で、NHKが日本初のテレビの
公開実験を行ったのが
1939年5月13日。
1940年には、日本初の
テレビドラマの実験放送が
行われたものの、
1941年の戦争でテレビの
研究は中断。
終戦後の1946年、
テレビ実用化の研究解禁後、
ようやく1953年に
テレビ放送が
スタートとなりました。
その後、今ではあたり前の
カラーテレビの本放送がスタートしたのは、
1960年のことでした。
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~丸屋庄兵衛のひとりごと~庄兵衛の家では私以外の家族が
豆のターゲットを庄兵衛にするようです。
前は庄兵衛が中心になって
家族そろって窓に向かって「鬼は外……」とやってたんですが。
いつの頃からか庄兵衛が鬼になってしまったようです(笑)
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